midasi

原爆慰霊碑

昭和45年4月、被爆25周年にあたる事業として神奈川県原爆被災者の会が、大船観音寺の境内に「原爆犠牲者慰霊碑」を建立しました。慰霊碑に爆心地の西蓮寺からは地蔵尊の土台石、長崎の浦上天主堂からも石が寄贈され、それぞれの被爆石は千羽鶴が刻まれた筏にのせられ、その台座には被爆者が平和の丘に向かう姿が描かれています。さらに、広島原爆資料館からのケロイド状の瓦や第5福竜丸の遺品等は地下に埋蔵されています。また、その慰霊碑の右手には「原爆の火の塔」があります。福岡県の南東、大分県との県境に星野村があります。この村で生まれ育った山本達雄氏は召集を受け、昭和20年8月6日広島の陸軍野営部隊で本隊へ向かう汽車に乗っていました。午前8時15分、原爆が投下されます。燃えあがる広島の街。汽車は止まり、市内に住む叔父の安否を気遣い、市街地を捜しまわります。8月15日、終戦。帰郷に際して、一片の形見を求めて叔父宅辺りを掘ると、残り火がまだくすぶっているのを見つけ、火をカイロに移します。その火は星野村の自宅に持ち帰られ、仏壇に灯されます。山本氏はこの火を絶やさないよう、囲炉裏や火鉢に移し、23年間家族とともに秘かに守り続けます。昭和41年、村の特産である茶の取材に来た新聞記者に長年の思いを伝えます。「叔父の供養の火であり、原爆で亡くなった人々を弔う火であり、恒久平和を願う火であり、怨念の火です」と。このことによって「原爆の火」は、初めて世に知られることになります。昭和43年8月6日、原爆の残り火は、山本家から星野村役場前に建立された「平和の塔」に移されます。この「平和の塔」から分火されたものが、大船観音寺の「原爆の火の塔」に今も灯っているのです。
毎年9月、この原爆慰霊碑の前に被災者が集い慰霊祭が行われています。